近江八幡市野村町1437
祭神:彦火火出見命 配祀神:瓊々杵尊・応神天皇・速須佐雄神
近江国の領主 藤原不比等の勧請と、在地氏族の氏神に対する篤い崇敬の念により、養老2年(718)に創建されたと伝えられる。
野村神社
野村神社 境内碑文
由緒
野村の鎮守として坐す「村社 野村神社」は、彦火火出身命を奉斎し 奈良時代の養老二年(七一八)近江の国領主、藤原不比等の勧請と祖先の厚い敬神の念によって建立され千三百年の古より 健康・長寿と野村郷村中を安全祈念し今日を迎えております。
所在地 近江八幡市野村町一四三七番地
御祭神 本社(彦火火出見命)ヒコホホデミノミコト
樹下神社(瓊々杵尊)ニニギノミコト
八幡神社(応神天皇)オウジンテンノウ
八坂神社(速須佐雄神)スサノオノミコト
足跡
文明六年(千四八五) 蒲生氏の一族、堀道教氏が不動明王を一体寄進。
天文四年(千五三五) 八月二十八日 木造大鳥居が建立された。
天明五年(千七八五) 正一位大神と宣旨により弥名。
文政七年(千八二四) 西郷領主が石灯籠一基を寄進。
明治九年(千八七六) 村社に指定。
平成十年(千九九八) 台風七号で木造鳥居が倒壊 石造大鳥居十二月再建。
ここに初老を記念し碑文を寄進する
平成二十三年二月吉日 野村町初老一同
野村神社 外部リンク
滋賀県神社庁
近江八幡の春を告げる、野村神社の例祭
『近江輿地志略』で野村は以下のように記される。
巻之六十九 野洲郡第四 「野村」江頭村の西にある村にて湖辺なり。
(『新註 近江輿地志略 全』弘文堂書店、1976年 821頁)
野村地区は日野川と水茎内湖(1944~1947年に干拓され消滅)に挟まれた位置にある。
水茎の岡からは内湖を挟んで対岸に位置し、野村神社社殿は水茎の岡を拝む方向で建てられている。水茎の岡には、不比等の屋敷や不比等創建の宇賀山香仙寺があったという伝承がある。不比等によって勧請されたという野村神社は、そこから目と鼻の先と言える位置にある。
また水茎の岡と西へほぼ同距離の位置には、不比等が社殿創建や整備に関わったと考えられる兵主大社を中心とする兵主郷がある。
野村神社は近江八幡と野洲の不比等関連地域をつなぐような位置にあると言える。
野村神社は兵主大社から3㎞圏内に入っているが、兵主祭に参集する神社群には含まれていない。日野川以東で兵主祭に参集する神社はないのだ。それには古代の湖岸線が関係しているらしい。
考古学的知見および地質の検討によって、飛鳥~奈良時代の日野川・家棟川流域の湖岸線は下図のようになっていたと考えられるとのことである(水色部分は湖水もしくは後背湿地)。
[『古代地方木簡の世紀―文字資料からみた古代の近江―』滋賀県立安土城考古博物館、2008年 42頁]
兵主大社を中心とする兵主郷は琵琶湖に面するという景観をなしていたようだ。
野村もまた兵主郷と水茎の岡の間にある島のような地形を呈していたのかもしれない。
野村神社付近一帯には野村城が築かれていたとされるが、築城年代・築城者など詳細は不明。
野村城 外部リンク
近江 野村城
野村城(滋賀県近江八幡市)
野村城 近江国(近江八幡) – 城郭探訪 – Gooブログ
『滋賀県遺跡地図』及び近江八幡市埋蔵文化財包蔵地分布地図には、野村神社一帯が中世城館跡の「野村城遺跡」として登録されている。
近江八幡市埋蔵文化財包蔵地分布地図 遺跡番号204-096
NO.3 (PDFファイル: 1.1MB)
埋蔵文化財包蔵地一覧表 (Excelファイル: 73.0KB)
『滋賀県遺跡地図』(令和3年度版ほか)では、参考文献として『琵琶湖湖岸・湖底遺跡分布調査概要Ⅰ』(滋賀県教育委員会・財団法人滋賀県文化財保護協会発行、1973年) が挙げられているが、野村城遺跡に関する記述は確認できなかった。
野村神社南方の遺跡番号204-090「高堤遺跡」は、古代(飛鳥)~中世(室町)の須恵器・土師器の散布地となっている。
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